雑記です。
自分は昔から目標管理制度の類が嫌いなんですが、一方で多くの会社では目標管理制度を設けていると思います。 最近は考え方次第では目標管理や成長すること自体に対して妥協できるようになったと感じたので、頭の整理がてらつらつら書いていこうと思います。
成長は必要か?
企業的には必要
最初に、経営者やそれに近いレイヤーの立場として考えてみます。この視点では成長は必要と考えるのは当然でしょう。
- 変化の激しい時代であり、常に新しい知識に追いついて行かなければ、その人のスキルは陳腐化する
- 人的資本経営という言葉があるくらい人材の能力にフォーカスがあたる時代では、組織の人間の能力向上そのものが組織力向上につながる
まあ、あげればきりがないくらい成長させたい理由は出てきますね。 組織としては、自社の競争力向上のために社員全員に是が非でも能力向上してほしいわけです。
人間は成長しなくても死なない
一方で、一般階級の人間はというと成長するメリットは年々少なくなりつつなっているように感じます。
出世競争を考えれば能力向上は必要であるものの、「ほどほどで暮らせれば良いや」という人にとっては出世は大して魅力的に感じません。 最近では出世したからと行って給料が大して上がらないケースもあり、責任や職務が増えるだけということもしばしば。 それなら「このままでほどほどでいいや」という考えになるのは、一つの考え方として全然ある気がします。
極端な話、現状維持をしていても人間は死んだりしないので、そのままでも良いと考えることはできます。
向上心がない人間の目標管理
さて、そんな向上心のない人間でも目標管理を避けることはできなかったりします。 直近どんなことを考えたか、ちょっとだけ書き出してみます。
賃金の対価としての成長
労働者である以上、賃金の対価として労働をしています。 労働の一貫として成長が「義務付けられている」と考えるのは一つの解決策かもしれません。
わかりやすい、一昔前のコンサルティング企業であったUp or Outみたいに考えるわけです。 「昇進・成長する、さもなければクビ」という考え方であれば、成長しないわけにはいきません。 こういう考え方に仕向けるのは、目標管理するうえで一つのやり方なのかもしれません。
周りへの悪影響を避けるための成長
向上心がないだけであって、周りに迷惑をかけたいわけではないケースは多い気がします。 「自分は成長しなくていいから、周りに迷惑がかからない程度にほどほどにやろう」という考えもあります。
こうした場合には、成長に対する意欲を見せないこと自体が周りに対して悪影響を与えてしまっていると考えることもできます。 いわゆる「シラケる」雰囲気を作り出してしまっていると考えると、自分だけでなく他人のやりたいことに間接的であれ影響を与えてしまっているわけです。
こういった場合には、「周りに合わせるために成長しなきゃ」と考える一因になるかもしれません。 「停滞は周りにとって悪である」と考えに持っていくのも一つのやり方かもしれません。
「あなたの成長のためだから」というフィードバックの悪影響
ところが、こうした成長に対するモチベーションの考え方を定めないまま、「あなたの成長のためだから」とフィードバックが発生することがあります。 別に成長なんかしたくない人間にとって、フィードバックはただのダメ出しであり、鬱陶しい以外の何物でもありません。
こうしたケースで必要なのは、フィードバックではなく成長すること自体へのモチベーションコントロールなんだろうなと思ってます。「人間誰しも成長したいはず」という前提で考えるのはかなり危険で、実際はそんなことないケースも結構あります。
不要な成長ならしたくないと考える人もきっと大勢いて、その中で「特に成長したいわけじゃないけど成長が必要」という状況にいかにして持っていくかが必要なんだろうなと思ってたりします。 こうしたモチベーションについての解像度が低いのに、やれフィードバックだ、目標が低いだのと言っているのは、やや的はずれなんじゃないかなと思った、今日このごろでした。