どこにでもいるSEの備忘録

たぶん動くと思うからリリースしようぜ

やる気の「熱」とうまく付き合う

雑記です。

最近やる気についてふと考える瞬間がありました。

似たようなことが過去にネットで話題にはなっていたんですが、自分用に頭の整理でもしとこうかと思ったので備忘録です。

やる気の熱的性質

自分はやる気は「熱」っぽい性質を持っているよな、と常々思っているのでそれについて書いていこうと思います。

冷める

たまに思考性を「熱しやすく冷めやすい」とかいう言葉で表現する人がいます。 今回の話はこれに結構近い話だと思っています。

大なり小なり、人間のやる気には寿命があるように思います。 1つの物事に対するやる気というのは何らかのイベントをトリガーにして発火し、時間とともに変化していきます。 一時的に上昇傾向を見せることもあるでしょうが、長い目で見れば最終的には沈静化していきます。

自分の場合は大概やる気が出たと感じる瞬間が一番熱量が高くて、その後は単調減少するような思考性をしています。 後でやろうとしても、時間が経過しているとやる気が激減しているので、大体やりません。

また、やる気は環境によっても左右されます。 いわゆる「シラケる」という現象がこれに該当します。

一時的にやる気があっても、周りによって急速に冷却された経験はないでしょうか? やる気の重要な性質で、様々な外的要因でやる気は上がりも下がりもするわけです。

こういった現象をどう表現するかは人それぞれだとは思いますが、自分の場合は「熱が冷める」に似ていると感じています。

伝播する

もう一つやる気の重要な性質として、やる気の「熱」というものは伝播します。

「そんなことある?」と思うかもしれませんが、ちょっと考えてみます。

「イケイケドンドンな雰囲気の組織で過ごしたい」という人を見たことはありませんか? 考え方次第ではありますが、こういう人の考え方の一つに「勢いのある雰囲気が好き」ということがあります。 この雰囲気の一つは、組織を構成する人たちの「やる気」の熱なのではなかろうか?と個人的には思ってます。

こういったやる気のある人が集まった組織がどうやってできているかというと、「やる気」を持った人の周りに「やる気」を持った人が集まるわけです。 場合によってはやる気のある人の周りの人がつられてやる気を出していることもあります。

こういった現象によって、最終的に「イケイケドンドンな雰囲気の組織」が出来上がってたりします。(もちろん業績など、雰囲気を構成する他要因もたくさんありますが)

要するに、やる気の「熱」は周りのやる気を出したり、周りに同じような「熱」を持った人を引き寄せる性質があるんだと思っています。

やる気の「熱」とうまく付き合う

自分が感じるやる気の熱的性質を書き出したので、今度はそれとどう付き合ったらいいかを書いとこうと思います。 上手くコントロールできれば、自分も周りにも良い影響が出るんで、うまく付き合っていけたほうが良いと思います。

他人の「熱」を下げない

他人の熱を上げるようにすることは殆どの場合できません。 やる気スイッチがわかる敏腕マネージャーも極稀にいたりしますが、大半の人は他人が何にやる気を出すかなんてわかりません。

ただし、上がった熱を下げないことはテクニック次第でなんとでもできます。 要するに、他人のやる気を冷ましそうなものを排除してあげればいいわけです。

例えば「〇〇やったほうがいいと思うんですよね」と発言が出た瞬間に「いいね、採用!」と言ってタスクをアサインするとかですね。 「XXがあるのでちょっとむずかしいですね」という話がでるのであればそれは熱が冷めかかっているサインなので、「XXを一緒になんとかしよう」と振る舞うだけで熱は下がらなかったりします。

勢いで行動しようとしている人間に対して、権限を与え、わかっている障害を先回りして潰して上げるだけで冷める原因はだいたい排除できます。 そこまでしたら、そっとしておくだけで大丈夫です。大体の場合その段階のやる気で1つの物事の最後まで走りきれます。

自分の「熱」を自覚する

あんまり物事に対してやる気が出ない人もいます。(自分もこれ)

めんどくさいことに、自分のやる気なのに自分でもコントロールが難しいわけです。 意図してなにかにやる気を出すことは、他人に対しても自分に対してもとても難しいです。

ただし、「熱する」のではなく「冷まさない」ことであれば、それはテクニック次第だったりします。 こうした場合、やる気が出たことについてまず自覚をすることが大事です。 「いま自分はやる気が出ている」ということを自覚したら、そのやる気がすでに冷め始めていることも自覚する必要があります。

あとは他人に対しても同様、自分に対してもそのやる気が冷める原因を取り除けば良いわけです。 やる気が出たのを自覚したらタスクを切ります。目に見えている障害があれば、障害を排除できそうな人に助けを求めます。

「鉄は熱いうちに打て」

昔の人の言うことはあながち間違ってないですね。鉄は熱いうちに打ちましょう。

熱を偽装して、誘発させる

さて、最後にもう一つ。 「熱」は伝播しますが、その「熱」は偽装することもできます。

実際のところ人間の熱なんて、他人からはわかりません。 なんとなく「熱を持っている」というのを五感を使って感じ取るしかないので、それは演技力でどうにでもなります。

周りの熱にあてられてやる気が出る現象が一定確率で発生するならば、「やる気が漲っているように振る舞う」事自体に価値があるわけです。 どれだけ自分のやる気が無くても周りにやる気が伝播することを期待して振る舞うことで、全体としての熱量が上がることがあるわけです。

周りを冷まさないだけでなく、周りがのやる気が発火するのを誘発させることもテクニックだったりするわけです。

終わりに

こうした人間の「感情」に関わる部分を完全に無視して、合理性にフォーカスして物事を進めると「あれ、なんか活気がないぞ?」ということになるわけですね。 合理的かどうかを完全に度外視するわけには行きませんが、合理性だけで生きている人間も多くはありません。

  1. やる気が出る
  2. 周りに話す
  3. 「それ意味ある?無駄じゃない?」と言われる
  4. 正しいかどうかを判断する以前に、そもそものやる気が無くなる

こんなふうに冷めきってしまう事例は世の中たくさんあるんじゃないでしょうか?

これ、否定している側は別に悪気ないんですよね。あくまで合理的判断をしようとしているだけです。 まずいのは、その言動自体が議論以前の他人のやる気を奪っているという視点が抜けている点です。 合理性とやる気の熱とのトレードオフが考慮されないと、「やっぱ良いです、忘れてください」ということが起こるわけです。

やる気が無くても人間生きていけますが、やる気が持っている謎のエネルギーがあるのも事実です。 それらには十分留意する必要があるなと改めて感じました。

........とかいうことを考えたので、どれだけやる気が出なくても「他人のやる気を削がない」「やる気があるように振る舞う」ことには意味があるんだなというのを感じた話でした。

人間ってめんどくさいですね。

参考文献

この記事を書くにあたって、下記の文献を参考にしました。 (この記事の内容、どこかで似たような話を見たな、と思って調べたらこちらでした)

note.com